勝本浦生まれのジジイが薦める壱岐の歴史見分!

壱岐

倭(ヤマト)の興りは壱岐!

海の大国から山の大国へ

古事記「天比登都柱」の壱岐

まえおき

魏志倭人伝に倭国が次々に登場しますが、その中で国名と国府が確定しているのは 一支国・原の辻だけです。
魏志倭人伝以前は・・・わかりません。

魏志倭人伝以前は古事記・日本書紀に見るしかないのですが、この二つはヤマト建国当時(?)書かれたものではないので多くの創作・意図をもって書かれています。当然当時の編纂者の都合のいいように書かれ、都合の悪い部分はカットされるか書き直されているはずなので史実にはならない、いうなれば神話の世界ですが少なくとも伝承的価値はありそうです。

古事記は天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、大和朝廷の王家を中心とした貴族や豪族によって創作された口頭伝承を基にして作成されたもの。標準的理解としては「王家は西からやってきた」でありますがそれ以前は「オノゴロ島に降り立ち国造りを始めた」です。

大まかに言えば、倭の王の太祖は混沌とした海をかき回して一つの島を作り、そこにイサナギ、イザナミを派遣して国造りをさせた。

そして 対馬から壱岐、壱岐から唐津、唐津から糸島、糸島から福岡へ勢力を拡大した。
当然南にも進んだがここには徹底抗戦する「隼人」「熊襲」の国があり途中で制服をあきらめ東に進むことにした。

すでに大きな勢力であった出雲は手強かったが、大きな社殿を立ててあげることで国を譲ってもらい意外にすんなり畿内に
よし、ココに落ち着くぞってことで現在の奈良に都ができた。

物語にしても、どうしても理解できないのが天孫降臨の地、タカマガハラがなぜ宮崎??
九州山脈の南には「隼人」「熊襲」 がいて、手に負えず引き返しているはず
日向の地は宮崎だけではない福岡南部にあり、福岡西部にも日向の地名はある。
ま、いろんな本やwebでも 天孫降臨の地、タカマガハラがなぜ宮崎かという疑問持ってる人も多いようですけど。
多分あとから強引に「それは宮崎だ!」 とぼんくら学者か役人が強引にくっつけたんでしょう。
どうも職務を権限と勘違いしてる木端役人が多い傾向は今昔問わず受け継がれているようで、困ったもんです。

邪馬台国畿内説を主張する人もいますが、ちょっと無理がある
邪馬台国はおそらく、九州福岡の浮羽・朝倉・久留米・八女、あのあたりですね。
このエリアには奈良の地名と重なる地名が多い。
新しい居住地に、かつて住んでいた地域の名前を付けるのはよくあることです。

 

日本人はどこから来た?

倭の国が壱岐対馬から九州へということで、よく論争される、天皇家の祖先は朝鮮民族・韓民族?
つまり現在の韓国・北朝鮮の祖先と天皇家の祖先は同じかという論争ですが、これはわからない。
単純に考えると半島に南にあった王国が侵略から逃れて対馬に渡ったのが始まりかと思えますが、その國が現在の韓国・北朝鮮の人々と同じ先祖の國どうかはわかりません。
というのも朝鮮半島は幾度となくいろんな民族が侵略・支配・敗退を繰り返していたので確定できない
民族的には多分よく言われる「モンゴル民族」のようです。

朝鮮民族・韓民族と共通の祖先だとすれば日本人一般も同じDNA特性を持っているはずですが wikipedia の記事によると

Y染色体ハプログループで見た場合、朝鮮民族は中国人など東アジアで多く見られる O3 が多く、02bから分化したO2b* がそれに続く。
日本人では O2b から分かれた O2b1 が多いので、朝鮮民族に多い O2b は O2b1 以外の集団(別集団の為)として O2b* と呼称される。朝鮮人は、日本人に特有のD2系統をほとんど持っていない。

ちなみに日本人のDNA配列に最も近い國・民族は

チベット族…中国のチベットとその周辺に住む民族
ブリヤート族・ヤクート族…バイカル湖の湖畔に住むモンゴル系民族
カザフ族・キルギス族…旧ソ連のカザフスタンに住むモンゴル系民族 だそうです

中央アジアの西部に多いってことなんですねえ。へ〜〜

ってことはやっぱ、モンゴルあたりのある大きな部族が侵略・敗退を繰り返しながら中国大陸を南下して半島から渡ってきた
というところでしょうか。

ま、いずれにしろ、日本人も漢民族もアングロサクソンも、 その昔の昔はアフリカ人です。

邪馬台国・大和朝廷成立以前に日本にいた民族のみなさん、ご迷惑をおかけしました。
倭に屈しなかった 「隼人」「熊襲」、あんたたちはすごい!

ヤマトの先祖はどこからきた 海大国から邪馬台国へ 日本歴史年表と壱岐

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